こんばんは、風 薫です。

わたしの使っているスケジュール帳には、あたまの部分に、毎日違う「おことば」が書かれています。

気が向いた時にだけ見るのですが、その内容に対する感想としては、
ふうーんだったり、
はあ?だったり、
そうだよねだったりと、ほぼ三種類の感想

(しかも、確率的にはこの順番通りになることが多いのです)に分かれます。

この頃、見ることを忘れていたのですが、今日久しぶりに見たら、珍しく“そうだよね”の内容でしたので、シェアしたいと思いました。

今日の「おことば」

いわく、
「人間は年をとるにつれ新しい友人を作っていかなければ、じきに一人ぼっちになってします。友情はいつも修繕しつづけなけばならない。   
サミュエル・ジョンソン」

というものでした。

話は少し逸れますが、わたしはサミュエル・ジョンソンという方を存知あげなかったので、調べてみました。

ネット上にこころに響くサミュエル・ジョンソンの名言

https://cocotasu.com/samuel-johnson/

というページを見つけました。

ウィキペディアも見たのですが、サミュエル・ジョンソンさんは、イギリスの文学者/批評家のようでした。

サミュエル・ジョンソン

画像は、ウィキペディアよりお借りしました。

1700年代に生きた方で、多くの名言を残しておられるようです。

今日の「おことば」もそのひとつなのでしょうね。

「友人」とは、どういうひとか?

この「おことば」の中には、2つの示唆があると思い、“そうだよね”としました。

そのひとつは、前半部分、「人間はとしをとるにつれ新しい友人を作っていかなければ、」の部分です。

続けて書かれている、
「じきに一人ぼっちになってしまう。」に関しては、限りなくその可能性は高いものの、必ずしもそうとは限らないと思うので、わたし的にはそれほど評価できるものではありません。

サミュエル・ジョンソンさんのお考えは、
年を取っていくと(さまざまな理由で)友人を減らすことになる。だから、日頃から新しい友人を作る努力をしなければ、気が付けば一人ぼっちになってしまっている…

と、いうことでしょうか?

わたしも常々感じていますが、年をとっていくほど、友人は作り難くなっていると思います。

まあ、ひとそれぞれ、自分にとってどういうひとが友人というのかが違うと思うので、

一概には言えませんが、

わたしとしては、「知人」と「友人」は大きく区別をして欲しいと思っています。

わたし自身のことをお話しするなら、時間と空間の共有は関係ないと思っています。

密な関係でなくても、何かを一緒にしたという経緯がなくても、こころの繋がりを感じる関係性ってありますよね?

そして、もうひとつ言えることは、

自分が「友人」と感じているなら、それは「友人」だということです。

時には、相手は自分と同じように、自分のことを「友人」だと考えていないことがあります。

ですが、相手がどう思っていたとしても、自分が感じていればいいのです。

ただし、相手の気持ちもまた自由なので、自分と同じように「友人」だと感じて欲しいと強要するのはよくありませんね。

確かに、少し寂しいかもしれませんが、折れることなく、あなたは変わらずに相手を「友人」として、誠実に正直に向き合いつづけてください。

近い将来、必ず相手もあなたを、かけがえのない「友人」として認識するはずです。

年を取ると、なぜ友人ができにくくなるのか?

年を取ると友人関係が築きにくいということには、いくつか原因があるのではないかと思っています。

わたしが多くのひとたちと出会っていて感じるのは、みんな、守りの体制に入っていると、いうことでしょうか。

相手の気持ちや考え方や行動を見て、自分の考えや気持ちを話したり、表現する…

「嫌われたくない」気持ちの方が、自分らしくあることよりも優先される結果です。守りに入っています。

相手の気持ちと自分の気持ちが、ぴったり一致していることなど、ほとんど考えられませんので、当然無理が生じるでしょうね。

一緒にいて心地いいのが友人関係なので、無理や我慢をして相手に合わせていても、心地よくはありません。結果、離れていくことになります。

他の理由としても、思い当たる節があります。

年を取れば取るほど、相手の話が聞けなくなります。根気と集中力の低下もあるのかもしれませんが、エゴが増しているように思えます。

相手の話は聞きたくないけれど、自分の話は聞いて欲しい…そうした方が多くありませんか?

みんながみんな自分の話しをしたくて、ひとの話しなど聞きたくなとしたら、もう収拾がつきませんよね。会話のキャッチボールも成立しにくくなるでしょう。

年を重ねている=たくさんの経験をされているということで、伺えばためになるし、面白い内容もたくさんあるはずなのに、惜しいです。

このように、

  • 守りの体制に入ってしまっている
  • エゴが増し、自分本位になってしまう

上記2つの理由から、年を取ると友人は作り難くなるのです。

でも、その先にあるものは「一人ぼっち」。

由々しき事態です。

「友情」の何を?どこを「修繕」するの?

そして、後半
「友情はいつも修繕しつづけなければならない。」
です。

これも、また、示唆に富んだ「おことば」。

「友情」の何を「修繕しなければならない」のでしょうか?

ちなみに、「友情」を大辞林で引くと、「友達の間の親愛の情」とありました。

そして、「修繕」は、「悪くなったり破損した箇所を直すこと」と。

書き換えると、「友達の間の親愛の情はいつも悪くなったり破損した箇所を直しつづけなければならない・」

これ、スゴイですね。

これを読むと、築かれた「友情」は鉄板ではないということ、その関係性に甘えて、なあなあにしてしまっていると、完全に壊れる可能性がある、そして、年を取ってからこそがより気を配って大切に考えなければいけない、

そんなことが書かれているのだと思うのです。

年を取るということは、年の功ということばがあるように、経験が豊かになる分、過信したり、散漫になっていくことと紙一重かもしれません。

だからこそ、こころを配り、常に注意を払い、

大事になる前に、小さなほつれの段階で手当てをしていかなければいけないと、言っているのです。

実に、示唆に富んだ「おことば」ですね。

まとめ

年を取ると、よくも悪くも賢くなってしまって、ひととの関係性において、波風を立てたくない、嫌われたくないという、守りの体制にはいっていく、

さらには、エゴが増すことによって、考え方や行動が自分本位に偏る傾向が否めない。

こうした理由から、年を取ると友人が作りにくくなっていく。

そして、すでにある友人関係も、友情の名のもとに胡坐をかいていつづけてはいけない。

守りの体制やエゴが増してゆくことによっても、関係性にヒビが入ることは十分に想像される。

こうした事態を防ぐためには、可能な限り自然体でいること、それこそ年の功で知恵を使い、感性を鋭くして小さなほころびに敏感に反応していく、

その過程の中で、これまで持っている友情も大切に維持しつつ、小さな勇気と好奇心とともに、新しい関係にも踏み込んでゆくことが望ましいのではないでしょうか☆