
1981年 カルカッタでマザーテレサを見かけました
20代前半、一時期カルカッタにいました。
家族に恵まれなかったため、どこかすねて世の中を眺めていた私は、ほとんど放浪状態でカルカッタに滞在していました。
安ホテルに部屋は確保していたものの、人恋しさに襲われて、毎日あちこち歩きまわっているうちに、路上生活をしているご家族たちと仲良しになり、私もいつしか路上で寝泊まりするようになっていました。
彼らは、貧しく、食べるもの、飲み水にも事欠く中、異邦人である私に優しく、心広く、穏やかに接してくれ、食べ物をはじめとする生活に必要なものを、分かち合ってくれました。
私の常識は、カルカッタの非常識
これは、しばらく過ごすうちに、否応なく突き付けられた真実でした。
さらには、あまりの無力さに愕然とし、空しく戸惑い、こころの重い日々も送りましたが、この時の経験が今の私の核になっていると、心底思っています。
若干20代前半の未熟モノが、中途半端なヒューマニズムで何かをしたいなんて、実におこがましく、生意気でした。
私は、自分が無力で、何ら力を持たない未熟モノだと、自分を認めました。それでも、カルカッタの友人たちは、私を大切にしてくれたのです。
中途半端なプロークンイングリッシュにも届かない、おかしな英語もどきで意思疎通をはかっていましたが、彼らは私に何も求めることも、期待することもなく、カワイイ、大好きと言ってくれました。
この時は言語化できずに、感覚的に何かを掴んだ気持ちが沸き上がりましたが、言語化するなら、
もう、その存在だけでいいんだよ
と、いうことだったと思います。
そのうえ、分け隔てのない気持ちで向き合うこと、今のことばで表すなら
多様性を認める
ことなのだとも思うのです。
そうして、楽しくも考え深い日々を送っていたある日、マザーテレサを見かけたのでした。
〈2に続く〉