ある日「死を待つ人々の家」に行ったのです。

当時のカルカッタは、混沌とエネルギーと貧しさが混ざった場所でした。

カースト制度も根強く残り、日本人の私には到底考えれないような出来事が山盛りでした。

例えば。。。もし日本で行き倒れたひとがいたとしたら、誰かが心配して声をかけたり、場合によっては救急車を呼んだりすると思います。

ですが、80年代のカルカッタは、行き倒れた方が何日経っても同じ場所に倒れていることがありました。すぐそばを通るひとも、すぐそばで(路上)生活するひとも、あまり気にしているようには見えませんでした。

かと言って、責任も持てないのに、私がかかわるわけにもいかず、ただ毎日重苦しい気持ちで、無力感とたたかいながら、私も横目で見ていたのでした。

何日か経ったある日、誰かがどこからか大きな戸板のようなものを運んできたかと思うと、それまで傍観していた周囲の人たちが一斉に集まり、そのひとを戸板に乗せてどこかに運ぼうとしていました。

当時の私は、きっとどこかに捨てに行くんだ…と、恐ろしい思いに囚われながらも目を離すことができずに、ついていきました。

ですが、たどり着いたところは、マザーテレサが設立した「死を待つ人々の家」だったのです。

その当時、マザーテレサも知りませんでしたし、周囲のひとたちも「ホスピタル」だと言っていたので、私お貧しいひとのための病院なのだと思っていました。

マザーテレサが設立した施設だったと知ったのは、ずっとずっと後のことです。

「死を待つ人々の家」の第一印象は、あの街で唯一の「静謐」、限りなく静かで穏やかな場所だと感じました。

そして、入り口で出迎えて下さったシスター(この方はマザーテレサではなかったのですが)は、これまで見たこともない優しく静かな微笑で立っていました。

この方を見た瞬間、私の頭の中に 菩薩 ということばが浮かびました。

以来、菩薩ということばを聞くと、あの方のお顔が浮かびます。

このシスターに迎えられて、もはや生きているのか召されてしまったのかも定かではない行き倒れたひとは、汚れた服を脱がされ、身体をきれいに洗われ、腐りかけている傷の手当てを受け、清潔な衣類とベッドを提供され、温かいスープをいただいていました。(スープに関しては、ほとんど受け付けないようでしたが)。

静かで、外とはまるで違う時間の流れと、雰囲気を持ったそこには、たくさんのベッドが並び、多くのひとが横たわっていましたし、あちこちに菩薩のシスターが働いていました。

その中に、ひとりだけお年を召した小さな身体のシスターがいらして、横たわったひとりの女性の手を握り、傍らで何か話しかけていました。ヒンディー語だったと思います。

その方こそ、マザーテレサそのひとでした。

その時のマザーの印象は、優しい中にも凛とした空気感を漂わせていたと思います。

後に、この「死を待つ人々の家」を設立について語ったマザーテレサのみことばは、

「飢えた人、裸の人、家のない人、身体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」

というものでした。

本当に、その通りに実践されていたと、尊敬します。

マザーテレサには、遠く及びもしませんが、占い師としても、いろいろな奉仕活動も、マザーのみことばをこころに携え、歩んできたつもりです。

この「テレサイズム」活動もまた、誰もが平等に毎日を喜んで生きられるように、毎朝希望に満ちて新たな一日を迎えられるように、そんなお手伝いができたらと願っています。